湘南 茅ヶ崎の社交ダンス教室  スズキダンスパーク湘南




#004. 男子新体操から学んだこと





男子新体操。

私はこの競技ダンスよりはるかにマイナーなスポーツに、中学一年で出会いました。



小学校の頃はバスケ部に入っていましたが、どうやら自分は背があまり高くない、更に言えばあまり上手くないという悲しい事実にも薄々気付いていたので、何か他の部活動を始めよう、と思っていた時でした。

友人に誘われ見学に行った体操部。バク転をする先輩を見て、カッコイイ!僕もバク転がしたい!、と入部を決めました。



中学三年間、下手なりに部活を続けバク転もバク宙も出来るようになりました。

そして第一志望の高校に新体操部があり、中学の頃からお世話にもなっていたので、高校でもそのまま新体操を続けることにしました。





地域では進学校だったこともあり、部員は何と自分と同期が一人、それから一つ上の先輩が一人だけ。

男子新体操には、6人で行う団体競技と1人で手具を持って行う個人競技がありますが、人数が足りないので当初は個人競技しか出来ませんでした。

三年生になる頃には後輩も入り、やっと団体メンバーを組むことができました。

出場校が少ないとはいえ、県大会・地区予選と勝ち上がり夏の鳥取でのインターハイへ団体での出場を決めた時、本当に嬉しかったことを覚えています。



念願だったインターハイの後、顧問の先生が言って下さいました。

「主将としてよく頑張ってくれた。この後どうするかはお前に任せる。」

高校三年生の部活動は大学受験等の為、夏のインターハイで終わることが多いです。地区予選で終わっていた他の部の友人達は皆、本格的な受験勉強に入っていました。

通常なら私もここで部活動を引退するはずでした。



が、その後秋にもう一つ大きな大会があったのです。

それは国民体育大会。国体です。





国体に出場するには、再び地区予選を戦い出場権を得なければなりません。

そして国体では6人の団体競技に加え、個人演技の練習もしなければいけません。

国体が終わるのは10月。本格的な受験勉強を始めるには遅すぎる時期です。

ここで引退して受験を目指すか、国体を目指してまだ部活動を続けるか。先生は私にその判断を委ねて下さいました。





結果、私は国体を選びました。

友人達が勉強している中体育館に向かい、毎日遅くまで必死に練習しました。夜は疲労がたまった身体で勉強しました。

私にとって国体出場はインターハイと並ぶ大きな夢だったのです。



福島で開催された国体。

団体演技とこん棒の個人演技、中学・高校の6年間の集大成のつもりで精一杯演技しました。

そんなに良い結果ではありませんでしたが、やり切ったという充実感でいっぱいでした。





あの時、インターハイでの引退をしていたら。国体を諦めて受験を優先していたら。きっと後悔していたでしょう。

実はその後の大学受験は、失敗しました。

模試では合格圏内だった某国立大と某私立大、二つとも不合格でした。

受かると思いその二校しか受験しなかったので、最終的にセンター試験の点だけで入れる私立大に入学を決めました。正直全然知らない大学でした。



それでも私は今なお、あの時国体を選んだことは後悔していません。

顧問の先生がよくこうおっしゃっていました。

「やらなかった後悔より、やった後悔をしろ。」

もしあの時国体に出ない選択をしていたら、”楽な方を選んだ”という思いが今もぬぐえないでしょう。

そして人生とは不思議なもので、その大学に入ったおかげで私はダンスと出会い、妻と出会いました。





困難な道でも、自分で選んだ道だから、その結果も自分で受け止める。

これが私が男子新体操から学んだことです。


文責 鈴木太一